
映画監督・小津安二郎は明治36年、東京市深川区亀住町で父寅之助と母あさゑの間の5人兄弟の次男として生まれた。当時寅之助は肥料問屋の小津与右衛門家の分家6代目として店を取り仕切っていた。小津家縁者は、松阪に50軒ほど住んでいて、豪商三井家がそうであったように、小津家も「江戸店持ち松阪商人」のひとつだった。地元で暖簾を守りながら、江戸に大きな店を置くという商いのやり方は、「伊勢屋」や「越後屋」 などが有名だが、当時の日本橋には、こうした伊勢松阪商人の店が軒を連ねていた。肥料問屋小津与右衛門家もそのひとつで、屋号を「湯浅屋」といった。
父親だけ東京に残り、家族で松阪へ引っ越した小津は、その後中学ではカツドー三昧で謹慎処分となり、進学の道も断たれ飯南郡宮前村の尋常小学校の代用教員となる。その間約一年。
まるで「坊ちゃん」のような物語で、映画にしたらさぞ面白いものが出来るだろうと思わせるストーリー。それもその筈、実際の教え子達が書いた「おーづせんせいの思い出」なる文集を元ネタとして書かれているからだ。清水宏映画ばりの子供達の生き生きとした姿を思い浮かべながら、いっきに読んじゃいました。ちばてつや・画の表紙が絶品です!
by 魳の味
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- 2023/09/18(月) 12:00:00|
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