
フランスのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを日本で初めて上映したのは、京都である。
実業家、稲畑勝太郎が、フランス留学時、リヨンの工業学校で同窓だったオーギュスト リュミエールと会い、日本でのシネマトグラフの配給権を持って帰国し、後の日活を作ることになる横山水之助に上映させた。 最初の劇映画が牧野省三によって撮られたのも京都だ 」。
なぜ京都なのか。
平安時代から宮廷に工房が作られ、江戸時代には、商業都市・大阪、消費都市・江戸に対して、京は工業都市として確かな地位を占めた。今でも京セラや村田製作所は清水焼の技術を電子部品に生かし、島津製作所は仏具、村田機械は西陣織の技術を生かしている。
京都人というと「いけず」な閉鎖性がよく指摘されるが、それはそれだけ外部からの来訪者が絶えないことを意味する。 関東大震災の後に、東京の撮影所が軒並み被災し、多くの優れた映画人が京都に移ってきた。それから京都の撮影所は活気に満ちて、舞台を中心とした旧劇から、アクションを中心とした時代劇を生み出して行った。
by おミズのハルヲ
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- 2023/02/27(月) 12:00:00|
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