
日活映画時代の渡哲也の黄金期っていつごろだったのか?これが分からなかった。
何しろオイラが日活映画を追いかけたのは、もうロマンポルノが始まったころだから…
昭和40年にデビューして、翌年13作目となる「愛と死の記録」で演技開眼。しかしこの作品は浜田光夫の代役だった。そして翌42年、25作目となる「紅の流れ星」でイメチェンに成功。
ヒットとはならなかったが、次に同じ舛田利雄監督で撮った「無頼より、大幹部」が大ヒット。これで無頼シリーズが生まれ、日活最後期のドル箱スターとなる。そうなんだ。ロマンポルノが生まれる直前までは、渡哲也が日活を支えていたんだ。
東映時代、健さんと共演する企画があった。原題は、「オホーツク番外地」。その後「大脱獄」と改題し、準備が進んだが、残念ながら例の病気で流れてしまった。
「男の器量と言うのでしょうか。裕次郎さんにしても健さんにしてもスーパースターになる人は人間としての器が違います。俳優である前に、人間として、社会人として、素晴らしい人格を持っていらっしゃるのです。裕次郎さんを「華やかなロックミュージック」とすれば健さんは「伝統の雅楽」ということになるでしょうか。時代というものに対して、ちょっと斜に構えて見せるのが裕次郎さんなら、健さんは古来の伝統というものを背中にしょって生きている。そんな感じがします。私にとってお二人は、永遠の憧れでした。」
byおミズのハルヲ
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- 2021/06/21(月) 12:00:59|
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