
三島由紀夫や阿川弘之、石原慎太郎から石川達三、遠藤周作など、ソーソーたる文士による当時のオリンピックルポ。
これが頗る面白くてイッキに読んじゃいました。
柴田錬三郎による「重量挙げにおける三宅選手」がスゴイ。重量挙げの様な孤独の戦いは、自分自身との戦いである。
各選手が、バーベルを前にして無我の状態に自分を置くことを、昔の剣客たちの修行におきかえて、木や石に向かって
太刀を構えた兵法者に似ていると言うのだ。「私は、三宅選手が、バーベルの棒をつかんだせつな顔を上げて、
宙の高いところへ視線をはなったのを眺めて、彼がおのずから会得した無心の一瞬に感服した。
外の選手で、バーベルの棒をつかんだ時高いところを仰いだ者は一人もいなかった。その瞬間に三宅選手の
精神力は「無」の一点に集中されたのである。」ウーン、カッコ良い。
石原慎ちゃんの、この文章もカッコ良い。「鬼の大松」で、「参加することに意味があるのは開会式においてのみである。
翌日から始まる勝負には勝たねばならぬ。償いを求めてではない。ただ敗れぬために勝たねばならぬ。
人生もまた同じではないか。われわれがこの世にある限り、われわれはすでに参加しているのだ。
あとはただ、勝つこと、何の栄誉のためにではなく、おのれ自身を証し、とらえ直すためにわれわれは
それぞれの「個性的人生」という競技に努力し、ぜひとも勝たねばならぬのである。」
by 昨日貫之
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- 2019/10/21(月) 12:00:00|
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