
江戸時代は、大きな戦争がなかったので、武士階級は、文武両道とはいかず、文を究める方へ行かざるをえなかった。
茶の湯はもとより、「能」に関わる道具(面や装束など)が、武家に欠かせないものとなった。
これは、武家の「能」を通して、いかに自藩の行く末を安泰させるかを語った物語だが、読み進む内に、
武士の生き方や能のあり方、その先には、人の生死の交わりをも取り込んだ、奥の深い物語となった。
「能」ではない時、主人公には悪鬼が巣喰おうとする。生身の体は、欲を持っている。
そんな時に悪鬼が、「こんな暮らしを重ねてなんになる」と嗤い、やめろという叫びは椋れて声にならない。
その時、彼は「美しく居る」を容れた。「美しく居る」が良いのは、躰への働きかけである。
気の戒めであるが、あくまで躰から入る。躰から入って気へ行く。あるいは躰が気をつくる。
だから悪鬼は入り口を失う。悪鬼は気の隙間から侵し入るのであって、躰へは入れない。
ひたすら躰に働きかけて美しい形と美しい動きを念じていれば、おのずと悪鬼とは無縁になる。
それがすなわち本来の「能」の所作であると。ウーンマンダム、深いぜ。
by 昨日貫之
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- 2019/08/19(月) 12:00:00|
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