
「生きるかなしみ」とは特別なことをいうのではない。人が生きていること、それだけでどんな生にもかなしみがつきまとう。「悲しみ」「哀しみ」時によって色合いの差はあるけれど、生きているということは、かなしい。いじらしく悲しい時もいたましく悲しい時も、主張低音は「無力」である。ほんとうに人間に出来ることなどたかが知れている。偶然ひとつで何事もなかったり、不幸のどん底に落ちたりしてしまう。一寸先は闇である。
あとひと頑張りすれば収入が倍になると聞いて頑張らない人間はただの怠けものという世界であり、脳死のひとの臓器を移植すれば子供は救えるもしれないといわれ、そこまで生かさなくてもいい、静かに死なせてやりたいなどと言えば、冷酷な親扱いされかねない世界である。そういう世の中で可能性をとことん追い求めない生き方を手に入れるには、「生きるかなしさ」を知る他ないのではないだろうか?
脚本家、山田太一氏の文章である。この「夢をあきらめる」という考え方を中心に編まれたこの本、まさに老子の「無為自然」「あるがまま」の生き方に通ずる感がするのだが、まさに現代は、そんな世の中なんだろーなー。でもツラい時に読むと、もっとツラくなっちゃったりして…
何と言っても連城三紀彦の「紅き唇」と、藤子F不二雄の「パラレル同窓会」がスバラシかったと言っておきたい。
by 昨日貫之
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- 2019/07/29(月) 12:00:00|
- 日記
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