
東映は戦後に出来た後発の会社だから、直営館の数が少なかった。
それを昭和32年には契約館を含めて1.300館まで広げたと言うのだから時代劇サマサマだった訳ね。
それがマンネリになってリストラを始めた39年、仁侠映画が登場。
当たりに当たって作りに作ったがこれもマンネリになり、藤純子の引退後に出て来たのが「
実録ヤクザ路線」。
ワシ的には仁侠物を観まくったせいか第1作目はノレなかったが、2作目以降「最後の頂上作戦」までは、封切で観る程の大コーフンだったゾ。
共産党から宗教映画まで、儲かるもんなら何でもアリの東映魂がたくましい。
タッパがあって押し出しもきく日下部氏ならではのエピソードは、当時の岡田所長とライターの笠原氏の3人で撮影所の入り口で話していると、
某組長を乗せた黒塗りのベンツが撮影所に入ろうとしてアワてて引き返してしまったんだそうな。
後で話を聞くと、3人共”組長を狙うヒットマン”に間違えられたんだって。
余程恐かったんだろうね。
「映画には未練はないが、映画に未来はいつだってある。テレビ局と宮崎駿監督以外に勝者がいない今日くらい、
若い無名の人間にとって世に出て来やすい状況はない。いま勝てば一躍斯界の英雄である。
状況が悪くなればなる程、これらの人にとっては有利であろう。私は、私の見も知らぬ若者の敢闘を期待する。
どんな鮮やかのプロデューサーが出てくることだろうか?」
by オラッチ
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- 2013/01/22(火) 12:00:00|
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